■2/10(sun)■


今日はですね。滅多ない前の方の席でした。
もーね、なんかですね。持ってかれますね。
二階席に座るとなるべく全体を観よう、全体を観よう、っていう意識が働きます。センターブロックになるとやっぱり全体を観てフォーメーションの綺麗さとか、計算し尽くされてる見事なあの動きや、演出にうっとりと心委ねます。
で、今日は。
なんかもう、いろいろ考えることができなくなりました。

ただただ、光ちゃんだけを眼で追った。
というか。目が離せなかった。
全部もってかれました。本当に、この人がどれほど綺麗に舞っていたか、そればかりが頭に残っています。

光ちゃんは、この人は、すごい。

すごい、という言葉を何度使ったかわからないけど、やっぱりホントに、すごいんだ。
手がですね、指先までぴっとしてるというのはもちろんなんですけどそのぴっとしてるところとか、ゆるりと流すようにしているところとか、ただ「ぴっとしてる」だけじゃないのですよね。
あらゆる動きにおいて、一瞬たりとも疎かにしているところがない。
その全てにおいて一瞬たりとも気を抜いてないのがわかるんですよ。
流して踊る、とか。フリーで踊る、とか。そういうスタイルがあるのはもちろんわかってます。ただね、その「流して踊る」とか「フリーで踊る」とか言われるものであっても踊れる人というのは、決して気を抜いたりはしてないんじゃないかな、と思います。
無意識に、あるいは、恐らくは意識的に、どうしたら綺麗に見せることができるかいい感じでお客さんの目に映るか、計算してわかっていてそういう動きをしているのだと思います。だから、指先もただそろえていたりさらっと流しているのではなくて「全ては一番よく見せるために」と。これが肝心なことで、それを目指してやっていることではないかと。
ええ、私は全くダンサーではないので想像だけでものを言ってますけども。
きっちり腕の角度から指先までを決まった角度で止め、足をあげるその動きも。
さらりと流すように軽く踊るその動きも。
本当に綺麗だった。
あの長い舞台の上演時間中、ただの一度だって気を抜いたことがなかった、と断言してしまおう。
さらりと踊ってみせているようでいて、その実一瞬たりとも手足の先までおろそかになることも部分もなかった。
柔らかいしなやかな動きと、きっちりきびきびとした動きと、そのどちらでも。息をのむほど綺麗だ。
あの綺麗な踊りをどうやって表現したらいいのか、ずっと悩んでましたよ。
Love and Lonnlynessの前のタップ。あの動作終りの一瞬の手の動きとかね。息をのむ。あの瞬間、時間が止まっているようにすら感じますよ。よく、踊っているコウイチの周囲だけが違った空気に包まれているように見えると言ってますが、まさに。
うん、私が常々思っていることは全然間違いじゃないよな、と改めて思いました。
やっぱり、光ちゃんの周囲だけ空気が変わるんだな。
この人は踊ることで世界を創れる人なんだな。
光ちゃんが創りあげる無二の世界が、あの周囲にあるんだな。
拍をいっぱいに使って踊るあの踊り方が私はすごく好きです。静と動の緩急がはっきりしていて、それでいてそのつなぎは滑らかで、世界を創ることができるあの踊りが好きで仕方ないです。
今回は久しぶりに頭の上を飛んでもらえたんですが、そう、光ちゃんはフライングでも「表現」を持っている人だと何度目か思いましたよ。
多様なフライングはただ飛んでいるだけでなくて独特の美学を感じます。
さらりと飛んでいるようにみせて、創り上げた世界を拡散させている。
世界が広がる。
あーもー、だめですね。
自分でも何を書いているかわからなくなってきた。魂抜かれたまんまです。

なのに、コウイチはアドリブポイントではふっつーにきゃっきゃしながら、オオクラにひっどいステッキ投げして、勢いあまって自分の上に降らせたりとかしてるんですよ。
なんですか、あれ。あんなすごいのに、なんで自分にステッキぶつけてんですか、あの人。
本当に破格な人だと思いました。
何度目かわからないけど、恐れ入りました。本当に降参です。すごすぎます、座長。

 

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