■3/3(sat)■
ひなまつり。
お昼の公演を観に行きました。
そういえば、今回のSHOCKで昼公演入るのはじめてです。
アドリブほぼなしの正当派バージョンでしたね。
今回のSHOCKはそうはいってもやっぱり期間が長い分、私以外のいろんな方々にはとりやすかったのか結構「人生初SHOCK」なのかな? と思われる反応がいつもの年にまして多く会場から伺える気がします。
光一さんは大分肉がそげましたねえ。
頬のやつれとかよりも、胸板がぺったん具合がなかなかすごかった。胸のボタンいっぱいあけてる曲だとちらちらと中が見えるのでつい、双眼鏡ロックオンしている私が。
すみません、邪道なファンデ。
でも観ちゃった。久々に。最近なかなか警戒して見せてくれなかったやつ。
それはおいておいて。
大きくくくったカレンダー的には日程の半分(まだ半分)を終えて、舞台そのものは大分こなれたなあという感じがしました。
リカ役の沙也加嬢以外は毎年のおなじみメンバーが大多数なので、SHOCK自体は舞台がこなれるのは早いのだろうなとは思いますが、それでもなんか全体の芝居のトーンとかが落ち着いて収まるべきところに収まってきたなあという感じ。
今日は二階席におりましたので、全体観るのと同じくらい双眼鏡使いまくってました。
一幕のブロードウェイ見物のところ、ウチがリカに指輪と花束を贈るペアダンス。の、後ろで踊るコウイチの表情がやったらツボなんです。
なんかもうやけにかわいい。
私、光一さんは「かっこいい」派ですが、あの時の顔はかわいい。ほんとにかわいい。
なんというか、スウィート? 若い二人を見守る表情はパンちゃん観てる時の延長線上の顔、のような気がします。
なんでしょうね、なんかほほえましいものを見守る顔。
あれ、結構オススメ。
比較的真剣で険しい表情の多いSHOCKの中で一番なんかかわいい顔してる気がするんです。
考えてみれば、ここまでが一番幸せな頃なので当たり前なんですけども、月並みな言葉使うなら癒される表情です。
息を止めてなんなら心臓くらいとめて気合いいれて観たいナンバーとはまた違う和み感。
ものごとは緩急のバランスが肝心です。
ここはダンスでは一番の緩の部分。ひたすらかわいく踊る姿を楽しめる唯一の部分だと私は主張する!
二幕のステッキダンスも和やかなシーンですけど、コウイチ自身はすでにああいうことになっているので、やっぱり心からにこにこしてかわいさと穏やかさを楽しめるのはここだと思うの。
ところでほんとに今更気がついたのですが、今年のSHOCKはやはり去年震災の影響で公演が中止になった、その苦い記憶からの復活のステージでもあります。
OPでの光ちゃんの口上
昨年の3月11日で止まっていた帝国劇場でのSHOCKの時間が再び動き出します。
という言葉の重さは誰もが受け止めているものですよね。
去年もそうでしたが、ここは座長の言葉がはじまるとバックのパフォーマーのみなさんの動きがぴたりと止まります。
そして、座長の「再び動き出します」の言葉を受けてから、ストップモーションが解けて動き始めるのです。
もちろん、意図してやっているのだと思いますがなんというかじんときてしまいます。
動き始めるまでの間の様々な思いや葛藤、それから今年あえて誰もが無謀だと思っている四ヶ月連続公演を決断したことの意味。思い。
観劇するこちらも、それを受け止めたいなと改めて思いました。
気軽に日常を忘れるために楽しく観るだけでももちろんいいし、全員がそれをかみしめろとも思わないのですが、私はそうでありたいなと思います。
これでも、長年ファンやってますし。
それくらいは、シンクロしてる、と言い切ってしまってもいいでしょう。
本人がライフワークという言葉を選びたくないと思っているのは知っていますが、それでもこの年月、やり続けてきた時間はあまりにも長い。
そうして、ファンである私たちもそれぞれの立場と環境はあれども、同じだけSHOCKの時間を重ねてきてますしね。
例え劇場にいなくても、光ちゃんが提唱した通りふと公演時間中に時計を眺めては
「ああ、今頃階段落ちかな?」とか「今頃は夜の海」とか、一度は思ったこと、あると思いますし。
演じ手とは違うけれども、軌跡だけは重なる気持ちで、一緒に。
そうありたいと思います。
いつの間にか、SHOCKはそういう舞台になっていたんだなとなんだか今日は強く思いました。
カーテンコールのあいさつで光ちゃんが、
昨年の3月11日、SHOCKが止まった日から間もなく一年が経とうとしています。
と、段々近づいてきた3月11日に対して思いを馳せていたのがとても印象的でした。
日々、あの日が近付くにつれて光一さんの中に何か特別な思いが育っているのではないかな、と思ったのは確かです。
多分多くの人が大なり小なりそういう部分はあると思うし、そうならざるをえない程大きく深い爪痕を残した出来事でした。
強制的に変わらざるを得ない、考えざるを得ない、そんな。
光一さんの中でも起きたであろう変化、何よりも
エンターテインメントとは何か
という気持ちと、恐らくは葛藤。
3.11に対する思いは多分光ちゃんにとっての終生の仕事であるエンタテインメントに対する思いそのものなんじゃないかな。
その答えをどう見つけたのか、あるいはその輪郭のイメージを今現在の光一さんがどう掴んでいるのか。
たぶんそれを知れるのは光一さんの考えがほぼ全てそのままの形で100%出せる、という意味合いにおいて、ソロワークの中だけだと思います。
今年のSHOCKは一番最初にそれをかいま見れる、そういう場なんじゃないかな、と今日の舞台を観て強く思ったのでした。
記憶は重く、苦く、そして深い。