■3/11(sun)■





誰にとってもとても特別な日になってしまった、3月11日。

去年のこの日、一幕が終わった時にはまだ誰もそんな日になるなんて思っていなかったし、そこで2011年のSHOCKが幕をおろしてしまうなんて考えてもいなかった。
あれから一年。
長かったのか、それともあっと言う間だったのか、それぞれの胸に問いかけざるをえない、今日と言う日は、そういう日です。

幕間休憩の間に場内アナウンスがあり、今日は二幕の開演前にセレモニーを行います、と告知がありました。

一ベル。

ほとんどの人が席に戻ると、緞帳があがり、もう一枚おろされた幕の前にキャストが揃い踏みをしておりました。
各々。二幕の衣装……奇しくも、二幕の冒頭はコウイチの死の暗示と絶命の場面でもあります……ほとんどが黒白の哀悼の意を表すのにふさわしいものを身につけていました。二幕最初の出番が黒白以外の色の衣装の人たちも黒白の服を着ています。
真ん中に立つ座長はIn The Cemetaryの衣装です。
口を開いた光一さんの口からは、昨年の今日の話が。

いつものように幕を開け、いつものように一幕を終え、いつものように二幕を始めようとしていたその矢先に、東日本大震災が起きてしまったこと。
幸いにして帝劇にいたお客さん、キャスト、スタッフは誰一人としてけが人もなく無事であったこと。
でも、あまりにも多くの命が犠牲になってしまったこと。
亡くなられた方たちのご冥福を祈り、幕間という時間にではあるけれども、黙祷に協力をしてほしいという趣旨が語られました。
全員。起立を促され2時46分に三十秒の黙祷をしました。
静まり返った場内。
光一さんたちの姿を見ても、誰一人歓声も拍手もありません。
今日という日を、誰もが同じ気持ちで迎えていたからだと思います。
黙祷の後、光一さんは改めてSHOCKという舞台のテーマについて語っていました。

SHOCKというのは「死」もテーマのひとつになっていて、でもそれだけでなく「希望」とか「前に進む勇気」とかそういったものも伝えることができたら。
そう思って、自分たちはSHOCKというステージの役柄を一生懸命演たいと思います。

と。
そしてとりわけ印象に残ったのはBGM「大桜」なしではじまったカーテンコールでの言葉。

自分たちはまたこうしてSHOCKの幕を開け、前に進むことができているけれども、まだまだ本当にたくさんの人があの時から時間が止まったままでいる。
エンタテインメントとはなんだろうと、真剣に考えた。
少しでも前に進むための力の一部になれたらと思う。

ひとつひとつ考えて、自分の言葉で告げられているのだなとおもいました。
また、今日の公演の最中ずっと

本当に言えばいいかわからないくらいにたくさんのことを考えた。

と言っていたのも、なんとも言えない気持ちになりましたね。
普段「すべてのステージをひとつとして、変わりなく全力でやっている」と公言してはばからない光一さんにして、はじめてではないかというくらいに今日は特別だったと言ってました。

あの日はいろんな人たちがそれぞれ違う状況で震災の時を迎えたけれども、およそ公演中まさに舞台で演じようとしているその瞬間だった人はあんまりいないだろうなと思うと、なんだかたくさんのことを考えてしまいます。
震災があったために中止を余儀なくされた興業は数多いですが、SHOCKのようなケースはどんなに頭で理解していたとしても、やっぱり多くの無念が残るだろうと思います。
光一さんはエンタメ世界のど真ん中を歩いてきたような人で、なのに天災による公演の中止という希な経験を二度もしてしまったのだなあと。本人はなにも悪くない部分でのことなので、ファンとしてとても切なく感じています。
でも、これだけは。
あの瞬間が訪れたのが、本当に舞台の上で演じている最中でなくてよかった。
改めて帝劇の神様に感謝してしまいました。

今日の公演もすてきでした。
高く高く足があがり、ターンも綺麗だった。ひとつひとつの挙措動作に力と意志を感じました。

二幕が始まった時、それからCONTINUEのあのすがすがしいエンディングを迎えた時、心が晴れ渡る思いがしました。
光ちゃんじゃないけど、本当に「ほっとした」というのが一番本音に近い。
本人がカーテンコールで

無事に幕が降りて、正直ほっとしています

と言っていたのがなんというか、強烈で。
まぎれもない本音がそこにありました。光一さん自身にとってももしかしたら、去年受けたに違いない心の傷からまた前に進むために必要な今日だったのかな? と感じました。
当たり前だと思っていたことが当たり前ではないのだと一番辛い形で思い知らされた日。
その日を乗り越えて、前に進むこと。確かにSHOCKが掲げているテーマにはとても符合している部分がありますね。
そしてそれはたぶん、誰にとっても同じことだったんじゃないかなと思います。

祈りを捧げた30秒の静寂。
光一さんの言葉に拍手や歓声でなく、黙礼でもって応えたオーディエンス。
意義のある時間であり、空間だったと思っています。
前に進み出して、あの日を越えたカンパニーはきっと、もっとすてきでもっとすばらしいステージを見せてくれる。そう確信をしました。

光ちゃんという人は、やっぱり特別な人です。
私ができることは光ちゃんもできるけど、光ちゃんができることは私にはできない。そういうものがあまりにもたくさんある。
そういう特別を持ってこの世にいる人には、凡百の私たちが「できない」ことをすればいい。と私は思っています。非才の身の私は私にできることをすればいい。それぞれ「できる」ことと「できない」ことは違うので。単純に「あれやれ」「これやれ」はやっぱり違うんじゃないかなと。
光ちゃんがすべきことは、ステージの上にあって、そうして彼は自分がすべきことが何かを知っていて、それをまさに実践しているのだと。
この人がやるべきことはこれなのだと、改めて思い至りました。
変わらずそこにいることが、誰よりも一番がんばってる姿を見せ続けることそれこそが、少なくない数の人たちの希望になりうる、光ちゃんはそういう人だ。
でもって、SHOCKはそういうステージなのだと思います。

余談ですが、公演の後に「無事に終わったよ」と今日入っていなかった友人たちにメールで報告をしたら、光ちゃんの「ほっとした」という言葉は伝えてないにも関わらず複数から同じく「ほっとした」という返事がきました。
みんな、想いは同じなんだな。

 

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