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◆◇◆少しは冷静な分析とかしてみよう。おう!と試みる私の「てんまち」雑記帳◆◇◆

drop16_6.gif (136 バイト) 第八話「サヨナラ旅行」 2000/5/31 22:00〜23:00 drop16_6.gif (136 バイト)

さて一晩たってみた。
ので、少しはストーリーその他についてのあれこれなんぞ。

◆ 夜空ノムコウ
今回の、そして多分「天街」中でも一、二を争う名場面ではないかと思う東京行きのバス停でのシーン。
達郎がゆっくりと、自分たちが別れ別れになることを輝ちゃんに説明する場面。
今まで、達郎は輝ちゃんが引き起こした厄介な事件に際して必ず輝ちゃんに対してきちんと「それがなぜ悪いことなのか」を解いてきかせてきました。
私が達郎はいい男だ、と思うのはまさにその労を惜しまずに物事の善し悪しを輝に教えることに何の疑問も抱いてないからなのですが。
きっと、達郎は輝ちゃんに会ってかなり早い段階で、輝ちゃんの内側にある部分を人として尊敬したのだろうと思っています。達郎の輝ちゃんに対する態度には敬意が存在するように思う。
ものごとを根本的な部分では理解できてもそれを表現することが輝ちゃんにはできないから、いわゆる会話のキャッチボールがどんなに頑張っても成立できない。
だけど、理解してくれることを知ってるから達郎は丁寧に今起きていることを、自分たちの未来を語る。
「施設に行くよ」
輝の返答は、多分達郎の予測の範囲を超えたものだった。自分の思いを理解して、そして言葉を返してくれたように感じたのでしょう。
そして、あの表情です。
ただぼろぼろと涙を流して泣くことだけが悲しみや切なさを表現する手段ではない。
なんて表情でしょう。
あの表情に達郎の輝ちゃんへの思いの全てがあった。
出会ってからの日々への愛しさが溢れていた。
すごいや、本当に圧倒されました。
◆ かおりとタマキ
達郎をめぐるふたりの女性。
人間は、善玉と悪玉に単純に分けられるものではないですが、ドラマをドラマとして成立させるためにはどうしてもわかりやすい性格設定というのがあります。
いいもん役と悪もん役ね。
かおりとタマキ、どっちがどっち?と言えばそれはあきらかなわけで。
あまりにもステレオタイプだと視聴者は引くけど、あまりにも曖昧だとわからなくて結局のところ「達郎が優柔不断なのがいけない」ということになっちゃうんですよね。
最近のドラマは人間の描き方をナチュラルにしようとするあまり、脇役に焦点があいすぎて、肝心のストーリーがぼやける場合が非常に多いと私は思います。
これって一昔前の複数の男女による同時進行型恋愛ドラマの流行から続く弊害のような気がしてならないんですが、どだい三ヶ月やそこらであれもこれも、とやって上手くいくわけがないんですよね。
「天街」の場合、恋愛ドラマではないのでこのふたりの女性との恋愛問題はあんまり深く描かれてないですよね。
強いていえばふたりがふたりとも、達郎に片想いをしてるというだけで。
タマキに対しては「あと一押し」ってところにいるとは思いますが、いわゆる男女の色っぽさというのは存在してない(つーても、役者がラストを知らずに演技してるんだからどうしようもないってのは、ある(^^;; 光ちゃんと監督が話しあって、これくらいの距離感で、ってことになったんでしょう)かおりについては、私は完ぺきな「同族意識」であって愛情ではないと思ってます。
まあ、よくて初恋の女の子ですね。「P.S.元気です、俊平」における小夜子のような。
タマキは全てのことを飲み込んで身を引き、かおりはプライドを捨てて「一生、側にいて」と言う。
まあ、ありていに言えばかおりの方を「許せないわ」と思う人は多いんじゃないかなあ。
でも実はタマキにしても、達郎に知らず負わせた重さを理解せずに「あたしは達ちゃんとお兄ちゃんと一緒にいられたら幸せ」と言っちゃうんだが(^^;;
どちらも同じ恋する女ってことじゃ変わりないな、と思います。
ただ、かおりの方がたまたま苦境にあって、タマキにもそれがわかるし、達郎の性格もわかってるから「あたしを見て」とは言えなくなってしまったような。
恋はタイミングだと昔の人も言うではないの。
・・・てゆーか、実はプライド捨てて達郎なじるかおりって「かわいいなあ」と思ってしまったのだった。もう、めちゃめちゃ女なんだもん。しょーもないんだが、ドラマにおいてはしょーもない人間の方が私はすきなのだ。わはは。
◆ さて、苦言
まあ、なんてーんでしょ。
主役はドラマをひっぱる。まさにこのドラマにおける光ちゃんのことをさす言葉ですね。
この回、はっきり申し上げて前半はたいそう青ざめる出来でした。ええ、脚本が。
エピソードを詰め込みすぎなんだろうなあ、とものすごいいきおいで展開していくストーリーを見ながらぼんやり考えていた私です。
まあ、聖の父が安原だっていうのは、前回の父のことを達郎に愚痴る聖のアップから安原のアップにスイッチした時点で誰もがわかったと思うのでいいとして。
聖がまさにあのタイミングで達郎の家に来るのは、その前に風船持ったパフォーマーから「今日は来てないみたいだよ」と言われたから来たんだよな、って動機があったからいいとして。
達郎は基本的に熱血正義感の血が流れているのは第二話の「話は聴かせてもらったぜ」で証明されてるから、聖の自殺を食い止める熱弁をふるったのはわかるからいいとして。
さすがに息子の命を救ってくれた達郎を借金うんぬんのために殺すわけにもいかず、とりあえず酒酌み交わしちゃう安原もしょせん人の親だからいいとして。
・・・・って、なんで私は展開のひとつひとつにいいわけしながら観なくちゃいけないんだ?
ひとつひとつのエピソード自体はあってもOKなんだが、全体的に詰め込みすぎ。
「天街」の欠点はまさにそこにあると思うんですよねえ。
・・・はあ。
◆ 小動物禁止令
というのを、私はいつもの日記の中で散々、散々、散々訴え続けてきたはずだ。
もー幼稚園のブランコでわんこをにゅーんと顔に近づけてたり、抱っこの仕方はどうみても赤ん坊の抱き方だったり、子供のトイレの面倒も見ちゃったり。
こ、これはもしやサービスショットってやつか?そうなのか?
光ちゃんと小動物(子供含む)というのは、凶悪なんである。
かわいすぎて目が眩む。その挙げ句自分が挙動不審になってることを真剣に感じるので、ぜひ考慮していただきたい。
悪いが先週のキスシーンよりも大変なことになったぞ、私は。
ばかを承知で言わせて欲しい。
・・・ああ、あのわんこになりたいー(T^T)
◆ ラストシーンの出来映え
ドラマにしろ小説にしろ、これがよければ全ての取り返しは可能です。
視聴者はラストシーンの余韻を次の週まで引っぱるんだから。
というわけで、今週のラストシーン。
三人がばらばらに座ったシート。
それぞれの表情がとても、切ない。
窓の外を見つめる達郎の瞳にはどんな未来が映っていたのか。
それが幸福なものなら、いいのにね。
◆ 達郎=テリー
この回を見てそう言ったのは私の友人です。
テリーってのは、名作「キャンディ・キャンディ」のテリーのことです。表記ってテリーでしたっけ?テリィでしたっけ?
キャンディを愛しながらも、自分のために足を失ったスザナのために生きることを決意する男。
座布団10枚。
じゃあ、スザナはかおりか。
キャンディは誰だよ?タマキじゃないな。輝ちゃんか。
タマキはなんとなくパティ(キャンディの友達のメガネをかけた女の子)っぽい。
プッペ(キャンディの飼ってたスカンク)は?・・・・と思ったらそういえば、この回からわんこがレギュラーに加わってたんだった(爆笑)
ニールとイライザはやはり智也親子なんだろうか。
・・・すみません。はしゃぎすぎですね(^^;;
・・・私はアンソニー派だったんだがなあ。
◆ Pastelのプリン
バカ話ついでにもうひとつ。
もはや、智也母の一部と化したPastelのプリン。なぜ、長野にまで持ってくるんだ?面白すぎる。
このプリンですが、残念ながら東京近郊と名古屋方面でしか売っていないそうです。通販もしてません。
夏コンその他で東京・名古屋方面に来る予定の方は、ものすごくおいしいことは私が保証しますので、ぜひ話のタネに食べてみてくださいね。

HPがありますので詳しい場所等はそちらで調べてね。
http://www.chitaka.co.jp/pastel/

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