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12:30〜 16:30〜 (報告者:藍)※日記より再喝(また書き直しますが(^^;) |
もしかして、人生で一番感動した日かもしれないです。 MASK千秋楽。私は運よく昼・夜共に観ることができました。 光ちゃんは、すごかったです。 技術がどうとか、何がどうとか、アラを探したい人はどうぞ、そうしてください。 私は感動しました。それが全てです。 すでに前夜から大変な状態になってはいましたが、いざ日生劇場まで来てしまうと、去年の秋からのMASKをめぐるいろんなできごとがぐるぐる回りだしてすでにうるうるしてました。 知った友人の顔を見つけては、一緒にうるうる感慨にひたり席について深呼吸してその時を迎えました。 昼の部。 光ちゃんの登場場面からすでに、違ってました。 技術は努力すれば手に入るものかもしれないけれども、どんなに努力しても手にできる人とそうでない人が残酷に分けられてしまう、「華」というものをその場の誰よりも大きくはっきりと光ちゃんは背負ってました。 前日にちょっと気づいて、友人との会話に上っていたのですが、プロローグにあたる主人公優貴の父・穣司のブロードウェイのレビューシーン。以前観た時はここ、笑って歌い踊っていたのですが、ここが笑わなくなっていた。 これはわざとか、それとも本人が笑うヨユウがなくなっているからか?と言ってたのですが、すみません。ここまで来てまだ私は堂本光一さんをあなどってました。 これ、わざとですね(^^;; 父・穣司はこのプロローグの場面で挫折を味わうんですよ。そうですね、笑ってちゃ説得力に欠けるかもしれない。他のレビューの場面でぼたんの華が咲きほころぶように笑っているのですから、ここだけ笑ってないっていうのは意味があることなんだわ。 まあ、とにかく絶好調。本人の気持ちが前へ前へ向かっているのがはっきりとわかる、素晴らしい舞台でした。 キャストの方々との仲のよさは相変わらずで、ちょっと妬けちゃうくらいですし。 光ちゃんが千秋楽の公演を楽しもうという気持ちが、はじけてました。 ところで、毎回どきどきしている1幕の龍神退治(MASKを一枚一枚剥いでいく場面)では、この回衣装を引き剥がす場面で片側の身ごろが取れるタイミングが合わないというアクシデントがございました。 この「龍神」の場面の後に、KinKi冬コンでもやった「どうなってもいい」が入るのですが、これが・・・私は1幕が終わった後、にわかには立つことができませんでした。 身体の芯から震えがくるんですよ。がくがく膝が揺れてるのはわかるんですが、どうすることもできない。自然に涙は出てくるし、曲の後にJr.と女性ダンサーによるイントロダクションが入るのですが、魂がぬけてしまっていて思考が戻ってこない。 すさまじい。 この決して長いとは言えない曲が見せてくれるものは一言で表せばそれです。 MASKのMASKたる所以である、あのいくつものMASKを剥いで落としていく場面。重い衣装で動きを制限され、MASKを被ることによって視界がふさがれる非常に肉体的な制約の多い場面。それを終えて仮面を外し、装束を剥いだ瞬間。 その瞬間に光ちゃんは、目に見えない別のMASKをかぶっていました。 私は、実はそのMASKをかぶれることこそが、光ちゃんが舞台の神様に選ばれた人だという証拠のような気がします。 光一MASKというのは、実にいろんな要素を備えたミュージカルだと思います。 MASKレポの方で確か書いたと思いますが、私はこんなにもいろんな嗜好をもって集まる会場のすべての客に向けて作られたショーを観たことはありません。 必ず1330人の人間の1330以上の好みのどこかにあう要素を盛り込もうとした、エンターテイメントの権化のようなポリシー。 この作品を私がほとんど手放しで誉めるのは、それゆえです。 それこそ「くだらない芸術性を客に押しつける傲慢」さはかけらもない。ただ観る人が楽しんでくれればいい。そんなミュージカルは本当に悲しいほど少ないのが現実です。 友人のひとりは「光ちゃんのエンターテイメントにおける哲学が現れている」とMASKを評してこう申しましたが、全くもってその通り。 楽しんでくれればいい。そのためにはピエロに徹する。 簡単にできることじゃないし、言えることじゃないですよ。 そして、この公演中私は身をよじらんばかりに光ちゃんの体調を心配し続けてました。本人はファンがそんなこと思ってるの知ったら怒るかなあ(^^;; なんて考えたりしましたが、そりゃどうすることもできません。 私は今回幸運にもかなり多くの公演をこの目で観ることが叶いましたが、観る度に光ちゃんのMASKは進化していきました。と、同時に、はっきりと目で見てとれるほど日に日に光ちゃんは痩せていきました。 MASKレポを寄せていただいた方の一文に「この人は本当に全てを削って私たちにMASKを見せてくれている」というような言葉がありましたが、これ以上にMASK公演中の光ちゃんを表現する言葉はないでしょう。 例えばその日の体調で身体のキレが悪いとか、思うように動いてくれないとか、そんな日はあったかもしれません。 ですが、私が観た回ではただの一秒も、光ちゃんが手を抜くことはなかったと断言できます。 多分観てない回だってそんなことがあったとは思えない。 3時間もの長い公演時間に出ずっぱりで、連続37公演。しかもこの期間、いつものお仕事もイレギュラーのお仕事もきっちりこなしていたんですよ。あきらかに身体に変調をきたしていることがわかる時だってありました。 でも、そんなことは私が光ちゃんのファンだからわかることであり、MASKのリピーターだからわかることだよ、と友人Kさんに言われた時ははっとしました。そうです。毎回光ちゃんは心から観客と共に自分も楽しむために笑っていました。 その笑顔をみせるために削ったものは一体なんだったのか、みじんも見せないで華のように笑うんですよ。 そのプロとしての心意気に、心から拍手をしたいです。 さて、いろいろと物議をかもしだしているあっきーとのNY楽屋シーン(優貴の幼なじみの勝哉が病の身体の優貴を案じて日本に連れ戻しにくる場面)ですが(笑) 私は密かに日本に戻るの戻らないのと、もめる場面からいきなり食い違っていたふたりが和解するまでを静かなダンスに託すという、今時のミュージカルじゃまずやらないって(^^;; という、なぜか初演のMASKから綿々と受け継がれてきた「MASKの試練」(命名:私)については、どうだろう?と思っているのですが(苦笑)まあ、上手い人がやるとそのシーンだけ切り離して観ることができるからいいわねえ。と思いましたです。光ちゃんは身体の動線が最高にきれいなんですよねえ。 激しいダンスもいいですが、静かなこういうペアダンスだとひときわ際だつ気がします。 ここはね、もう光ちゃんのジャンプと同時にのけぞる喉元が素敵で(←フェチ)これを観るためにはこの場面、残してほしいわ。と願った次第です。 誰もかれもがそれはどうだろう?と悩むMASK一のインパクトある台詞 「もう、おセンチはなしだぜ!」(「”ピエロは顔で笑って心で泣いて”だよ」と、勝哉に苦しくてもNYで頑張り通してみせると決意を語る場面で勝哉が「心も笑ってろ」と励ました後の優貴の台詞) も、そういえばここの場面ですね(^^;; 重い芝居が連続した後の一服の清涼剤として、今ではこれを聴かないとMASK観た気がしないという事態でございます。 このMASKの中でどこが一番好きな場面か?と問われたら私は親子3人レビュー(NYに優貴を訪ねてきた母・愛子と実は父の亡霊であるジャックとのレビュー)をあげますが、今日もとてもすてきでした。 めいっぱいやってもやっても、まだ上にいる人たちが自分を受け止めてくれるっていう、普段のコンではありえない状況を、光ちゃんが存分に楽しんでいるのがいいです。 ステッキを使ったり帽子で変化をつけたり、いつものコンにはない要素が盛り込まれた「ああ、ミュージカルって楽しい!」と叫びたくなるような場面。ミエさんと尾藤さん、そして光ちゃんが日々「親子になっていく」のと同時進行でここもどんどん楽しくなっていきました。 フィナーレ。 私はすでにその前の段階でぼろぼろになっていたのですが、キャストの笑顔がたまりません。 光ちゃんの本当に納得のいくものを自分の手で作り上げたという満足げな笑顔が胸に迫りました。 あと、1公演。 万感の思いと共に、昼の部は大感動のウチに幕を下ろしました。 夜の部。 |