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篠田節子著 「ハルモニア」
 発行:マガジンハウス   ISBN4-8387-0838-6
1998/1/1初版発行 本体価格 \1800(税別・1998/7現在)

 

それにしても、すごい原作を見つけてきたもんです。
篠田さんの作品は、まともに読むのはこれがはじめてだったんですが、非常に読みやすい文章の人ですね。
そして、先にこれを読んでいた友人一同口をそろえて「これをTV化するのは難しい」と言った意味がわかりました。
TVというのは、とても広い範囲の人たちにむかって発信するメディアです。
ですが、原作の秀行がとった行動はある意味、多くの人たちには受け入れることの不可能な、あるいは理解できない種類のものでしたので。
伝えるための媒体が文章であればともかく、これがそのまま視覚化されたら、多分ほぼ全ての人が非難にまわるでしょう。

これは、決して恋愛小説ではありません。

芸術家が芸術に食われていく話です。
秀行が日常を捨て、安寧を捨てて、たったひとつの音を欲して欲して、そうして破滅していく物語です。
だから多分、この話に本当に共感できる人は、数少ないんじゃないかと思います。
秀行が由希の本当の音を聴きたいがために、その命を結果として縮めるような行為に及んだのは、当たり前だったんですよね。
なぜならその瞬間さえあれば他には何もいらない、おそらくは「犠牲にする」という感覚さえない。秀行にはそれが「当然の行動」だったんですから。

TV版「ハルモニア」の1話で秀行が50万のチェロを由希にぽん、と買い与える場面がありましたが、あれもそういう意味から言えば当然の行為なんです。
だって、いいチェロを与えれば由希が「いい音を弾くかもしれない」んですから。
だとしたら、他に代替えのきくものなんてあるわけがないんです。
というか、少なくともその瞬間は考えてない。
それは、秀行の個性と言うよりも、「芸術家」の性みたいなものではないでしょうか。

秀行に、最期の瞬間由希への愛情がなかったとは言いません。
でも、多分それは後からついてきたものだったのではないかと思います。
つまり「愛情」よりもなによりも大きなものが秀行と由希の前に横たわっていたということですね。
どうも、この話を読み進むに従って、狂気の内に自殺していった芸術家の逸話が頭に浮かんでしまって仕方なかったのですが、実在の天才達が己の中に見つけた「ハルモニア」の存在を、秀行は由希の中に見いだしてしまった。
自分では永遠に聴くことのできない「秀行のハルモニア」を、由希が聴かせてくれると、信じた。
だからこそ、あの一連の行動につながっていったのではないかと思います。

由希がそんな秀行をどう思っていたのか、これは、それこそ永久の謎ですが、やはり原作でも秀行をひたすら慕っていたのではないかと思います。
原作の後半、由希はある種聖母のような様相を呈してきているな、と思いました。
性欲とか、そういうのとは違う次元でただ秀行と通じ合うために最期の命を燃焼しつくしたのではないかと。
恐らく最期の瞬間「ハルモニア」にたどり着いたとき、由希の閉じこめられていた意志は燃え尽きてしまったのだと、そう思いました。

これはあくまで秀行視点の物語でしたが、由希の視点から読めばあるいは、歴とした恋愛物語だったのかも知れませんね。

すごい話です。
せっかくの光ちゃんが演じたドラマの原作という、この上ない出会いのチャンスなのですから、まだ未読という方。いらっしゃいましたらぜひ、一読することをオススメいたします。


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